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*まだいしのなかにいる*

昭和と平成、そして令和

元号が変わろうとしている。元号が変わるときが、一人の節目として、時代も大きく変わるような気がする。先の改元の時にはシステム屋をしていたこともあって、不謹慎ながら迷惑な話だとうそぶき、グローバルな今の世で改元なんて大した意味をもたないよ、、、って思いつつ、

いざ昭和から平成にかわるり、さらに平成生まれの子供達が出現、やがて成人し社会にも出ててきたときには、昭和生まれの自分たちの世代がどんどん浸食されていく錯覚に悩まされてもいた。

そうして世間にどんどん平成生まれがあふれ出てきても、自分は、自分たちは、昭和生まれだぞ、昭和育ちだぜ、と。自負してきてもいた。その自負の具体的な中身はというと時代がデジタル化するなかに、、、レコードがCDにテープがMDにやがてメディアもクラウド化して、、、

昭和生まれといつまでも自負していた自分だが、いつの間にか、気付けば昭和で生きた時間よりも平成で生きながらえた時間の方が長くなっていた。いつしか携帯からスマホに持ち替え、クラウドの容量も不足し、定額制配信サービスにどっぷり浸っている。だが、僕は昭和間だ。道具がどれだけデジタル化しても思考自体はアナログままだし。自分という人間は、いつまで経ってもブレークスルーはしない。昭和固定である。

結局のところ「昭和」と「平成」の間にそう大きな断絶はなかったと思う。だが、そんな昭和の人間がまた新しい年号を迎えるという。過去に思えば、明治生まれの人が昭和を迎えたように。

さて、明治生まれの人は昭和を迎えたときに、何を思ったことだろうか。昭和になって起こる数々の激動の事態を、年号が変わるそのときに予想しえただろうか。今、昭和から平成を通過し、令和と変わる節目を、昭和生まれはどう備えるべきだろうか。

否!年号が変わるから時代が変わるのではない。人間が変わるから時代は変わるのだ。その変わる時をもっと自由に選べたら、自分自身が自由に変われたら、、、年号に惑わされたりしない。